>>26-27
立憲君主制自体は戦後だが、立憲君主制もどきは鎌倉からずっとだ。
日本では、鎌倉、室町、戦国、江戸を通して、天皇を武力的に排除することが可能だったのに、行われなかった。
西洋、中国においては「一番武力のある者」が国を治め、つまりはKing、皇帝を殺すのが政権交代だったのとは大きく異なる。
これについては、個人的には「自然災害が多い地域」であったことが要因として大きいと見ている。
武家が天皇を殺してその地位に就くようなことをしなかったのは、天皇がいた方が統治しやすかったからだろう。
地震、火山、津波、台風などの身近な自然災害は当時の科学力を大きく越えていたため、
土着信仰として「神」の存在を信じざるを得なかった。結局、卑弥呼も「神」に祈る存在であったし。
すくなくとも、その後の古事記、日本書紀による「天皇は神の子孫」というのも作戦としては上手い。
ただ、鎌倉幕府以降の武家にとってはいつでも殺せた存在、なぜ上手く「祭祀」側として生きながらえて来れたのかはよく分からない。
江戸くらいになればもはや既成事実だが、鎌倉、室町、戦国に於いてはいつ殺されてもおかしくなかったはず。
それとは別に、国造りの物語として血を流したというのは、これも重要。明治については、戊辰戦争、西南戦争となるだろう。
そして大正、昭和は日清、日露となっていく。ただまあここは4chan、日本史ではなく世界史に戻そう。
中国も歴史的には物語を持っているが、日本と同様、建国の物語として、龍馬、西郷のように、「そのときに死ぬ」人は重要だと見ている。
実際に死ななくてもいいが、建国のために人生を捧げた、という人が居たら、子孫がそれだけで満足できる。
そこで中国についてだが、中国君に聞きたかったのは、
・鄧小平は天安門の時にクーデターで殺されるべきだったと思うか?
となる。もちろん中国君が答えられるわけはないとは思うのだが。
wikiによると、天安門の時、趙紫陽は学生側について、以降軟禁されている。
だから逆に、この時点、つまり鄧小平が趙紫陽の軟禁を画策していたとき、その護衛部隊が、
あるいは、天安門に武力介入したとき、その介入した部隊がクーデターを起こし、趙紫陽を担ぎ出せば、
ソフトランディングで民主化できた可能性がある。
実際には起こらず、中国はこれで○○年遅れたと言われ、今確かに24年経っても変わらない。
ちなみにこのタイプ(上層部の腐敗等に反発して軍(大佐クラス)がクーデターを起こす)のは多く、
エジプト、シリア、イラク、ベネズエラ、リビア等々。
だからある意味、天安門でクーデターで民主化というのも、お約束路線の一つではあった。
そこで鄧小平が悪役として死ぬのも、またゴルバチョフのように認めて民主化するのもありだったと思う。